NISDR活用し、5G向けOAM多重伝送実証実験プラットフォーム構築

平部 正司 氏, 日本電気株式会社(NEC)

"LabVIEWUSRPからなるNISDR製品高い開発生産活かすことで、自社装置から設計する場合比べ1/4程度期間実証実験プラットフォーム開発し、期限まで重要研究成果収めることできた。」"

- 平部 正司 氏, 日本電気株式会社(NEC)

課題:

5Gにおいて、バックホールの伝送容量を大幅に拡大するコア技術として、OAMモード多重伝送技術が期待を集めている。この技術の有効性を、実際の電波伝搬に基づいて実証するための実験プラットフォームを構築する。ただし、そのプラットフォームは、的リソースが非常に限られた中で、3ヵ月程度の期間で構築する必要があった。

ソリューション:

NIのLabVIEWやUSRPをはじめとしたSDR製品を基に、ソフトウェアで機能/仕様を定義可能な柔軟性の高い実証実験用プラットフォームを構築する。LabVIEWの開発生産性の高さを活かすとともに、計算機シミュレーションで使用した信号処理スクリプトをLabVIEWから呼び出し、過去のソフトウェア資産を再利用することで、短期開発を実現する。

背景

5G(第5 世代移動通信システム)の実現に向けて、現在は世界中の企業、団体、機関によって実に多様な活動が行われている状況にある。5Gの仕様は現時点で完成しているわけではないが、ピーク時のデータレートは20 Gbps(ギガビット/ 秒)のレベルにまで引き上げられると見込まれている。5Gに向けた高速通信を実現するための技術として、ミリ波/ 準ミリ波通信やMassive MIMOなど、基地局と端末の間の無線アクセスの高速化を志向した技術が広く認知されている。しかしながら、このような高速通信に対応するには、無線アクセスの性能を高めるだけでは不十分である。例えば、基地局と基幹回線を結ぶバックホールでも、伝送容量を大幅に拡大する必要がある。おそらくは、数十Gbpsから100 Gbpsのレベルが求められることになるだろう。加えて、5Gでは4G以前よりも高い周波数帯を活用することなどを背景に、従来よりも狭いエリアに無線アクセスを提供するスモールセルの導入が検討されている。これまではバックホール回線は有線接続が主であったが、多数のスモールセルを空間的に密に設置する場合、設置を簡便にするためにバックホール回線も無線化が進むと目されている。つまり、5Gの導入が進んだ世界においては、100 Gbpsクラスの無線バックホール技術が不可欠となる。このことも5Gが抱える課題の1つなのである。

 

その一方で、通信分野では、2010年代の初頭からOAM(Orbital Angular Momentum:軌道角運動量)を利用した多重化技術に大きな注目が集まるようになった。特に、5Gの無線バックホールの大容量化を実現する手段として、この技術に大きな期待が寄せられているのである。実際、それに向けた研究を推進する動きが国内外で加速している。その1つが、総務省の主導によって展開されている研究開発プロジェクトである。同省は重要な技術テーマに取り組む企業/ 組織を募って資金を提供することにより、電波資源の拡大に向けた研究開発を後押ししている。そのテーマの1つに、「ミリ波帯における大容量伝送を実現するOAMモード多重伝送技術の研究開発」というものがある。そして、このプロジェクトを受託したのが、NECのワイヤレスネットワーク開発本部である。

 

当部門は、移動通信システムの基地局や、バックホールで使用される無線システムなどの研究/ 開発を担っている。当部門としても、OAMは非常に有望な技術だと捉えていた。OAMを利用することでミリ波帯に対応するバックホールの多重化を実現できるのではないかと考え、2014~2015年くらいから本格的な検討を進めていた。当時はシミュレーションなどをベースとした机上検討を行っていたのだが、ちょうどよいタイミングで総務省のプロジェクトを受託することができた。このプロジェクトは、机上検討から実機を用いた検討にまで歩を進められる良い機会だった。

 

 

では、OAMとはそもそもどのようなものなのだろうか。また、それを活用することにより、何が可能になるのだろうか。以下、これらの点について説明する。

 

従来の無線通信に使われる電波は、平面状の等位相面を備える。それに対し、OAMと呼ばれる運動量を備えた電波は、そのために設計した専用のアンテナを使用する。アンテナの設計の違いに応じ、螺旋の向きや螺旋面の数が異なる電波(異なるモードの電波)を生成することが可能である(図1)。それら異なるモードの信号は、同じ空間で、同じ周波数、同じ時間に送信された場合でも、受信側で元の信号に分離することができる。つまり、無線通信の多重化に利用できるということである。しかも、OAMでは理論上はモード数を無限に拡張できることに加え、それらを用いた多重化技術(OAMモード多重伝送技術)は、多値変調や偏波多重などの技術と組み合わせることも可能だとされる。その結果、整数倍の規模で周波数の利用効率を高められると考えられているのである。

 

課題

今回のプロジェクトは、このOAMモード多重伝送という新たな技術を使用し、5Gに対応可能なバックホールの実現を目指すというものである。そのためには、以下のような仕様を満たすことが目標になった。

 

まず、プロジェクトの最大の目的は、5Gで必要になる伝送容量を実現することである。つまり、最終的には数十Gbps~100 Gbps の伝送容量を実現することがターゲットとなる。一方、5Gではスモールセルが使用されるので、バックホール回線の通信距離は短くて済む。そのため、通信距離としては100 m 以上という目標が設定されている。ただ、OAMには、長い通信距離を実現するためには非常に大きなアンテナが必要になるという課題がある。実用的な大きさのアンテナを使用した場合、100 mの通信距離を実現することですら必ずしも容易ではないのだ。結論として、実用的なサイズのアンテナで100 m という通信距離を達成するには、より波長の短い周波数を選択するしかない。そこで、ミリ波への対応が必要になる。このプロジェクトでは、ミリ波の中でもD バンド(130 GHz ~ 174.8 GHz)をターゲットとすることになった。さらに、総務省が提示した基本計画では、16 値以上の多値変調方式に対応した4多重以上のOAMモード多重伝送技術を確立するとともに、同技術と偏波多重の併用が可能であることを実証することも求められている。

 

このような目標に対し、プロジェクトの開始時点では、そもそも、現実世界におけるOAM伝送の挙動を十分に把握できていない状態にあった。つまり、実際に電波を使用して通信を行ってみて、課題を抽出しなければならない状況だったということである。さらに、Dバンドに実用レベルで対応するデバイスが、その時点では存在しなかった。したがって、周波数逓倍器やアンプ、ミキサなどのデバイスの開発を待たなければ、最終的な目標に到達することはできない。

 

上記のような状況を踏まえ、このプロジェクトは、2016年度からの4年間で段階的に進められることになった。2016年度には、最初のステップとして、机上検討の結果に基づき、OAMモード多重伝送を実際の電波伝搬の下で行える実験プラットフォームを構築し、この伝送技術の挙動を確認することにした。このとき、単なる実験装置ではなく、OAMモード多重伝送に関する洞察を様々な角度から、かつ効率的に得ることを重視して、各種の実験条件に柔軟に対応可能な実験プラットフォームを構築することを重視した。また、この段階では、いきなりミリ波に挑むのではなく、比較的取り扱いやすい5 GHz帯を使用することにした。また、OAMモードの信号を生成/ 分離するためのアンテナとして、最大8つのOAMモードの多重化に対応できるように、リング状に8個のアンテナ素子を配列したアレイアンテナを設計することとした。さらに、多値変調方式としては16QAM(直交振幅変調)を採用し、偏波多重も組み合わせることで16多重を実現して、7 mの距離で伝送を行うという仕様を策定した。理論上、5 GHz帯を用いた7 mの伝送は、Dバンドを用いた場合の100 mの伝送に相当するため、5 GHz帯での7 mの伝送を実証できれば、数十Gbps ~ 100 Gbpsの無線バックホールを実現する上での重要なマイルストーンのひとつとなる。

 

技術的な面では、このような目標を設定したわけだが、開発チームはもう1つの大きな問題を抱えていた。それは、人的リソースが非常に限られているなかで、短期間のうちに結果を出さなければならないというものだった。それまでにも事前の検討は実施していたのだが、実験装置の開発作業に実際に着手できたのは2016年9月中旬だったが、2017年3月末には最初のステップを完了しなければならなかった。開発チームとって重要なのは、優れた実験装置を開発することではなく、実験によりOAMモード多重伝送の知見を得ることだった。そこで、一から設計を行い、基板を起こしてカスタムの実験装置を構築するのではなく、COTS(商用オフザシェルフ)、すなわち市販のSDR(ソフトウェア無線)製品を組み合わせて短期間のうちに必要なシステムを実現するというアプローチを採用することにした。まずは、OAMによる伝送を実機で実現し、挙動の確認が行えるような状態にするということに焦点を絞ったということである。市販のSDR を活用すれば、無線機のRF フロントエンドや送受信回路、PCなどとのインタフェースといったハードウェアを自ら設計する工数を削減できる。また、変復調やアダプティブアレー信号処理などの各種信号処理はソフトウェアで自由に設計できる、そのため、実験毎に異なる固有の条件は、ソフトウェア側で柔軟に対応することが可能だ。

 

ソリューション/効果

上述したような方針の下、開発チームは実験装置を構築するための市販品としてナショナルインスツルメンツ(NI)の図1. OAMのモードの例SDR製品を選択し、図2のような実験用プラットフォームを構築した。この図は、そのハードウェア構成を示している。送信側/ 受信側のアレーアンテナとキャリブレーション用ネットワークの部分は、それまでの研究成果を導入して自社開発したものを使用した。

 

アンテナ、キャリブレーション用ネットワーク以外の部分は、NIのSDRである「USRP RIO」とPXI(PCI eXtensions for Instrumentation)製品で構成されている。図のように、送信側装置(図中の「Tx System」)、受信側装置(図中の「Rx System」)には、USRP RIOシリーズに属するSDRであるUSRP-2944RもしくはUSRP-2954Rがそれぞれ8台ずつ使用されている。このとき、1台のUSRP RIOには、それぞれ2チャンネルずつRF送信/ 受信機能が搭載されているため、USRP RIOをそれぞれ8台使用した送信側装置、受信側装置は、ともに16チャンネルのRF送信/ 受信機能を持つこととなる。送信側装置、受信側装置のそれぞれにおいて、8台のUSRP RIOはPXIe-8374インタフェースを介してPXIe-1085シャーシに接続され、同じくPXIシャーシに接続されたPXIe-8880コントローラが制御これら複数のUSRP RIOを一括制御する。

 

アレーアンテナを使用してOAMモード多重伝送を行う場合、各アンテナ間で同期を確立する必要があるが、単にPXIとUSRP RIOを接続するだけでは同期は確立されない。そこで、送信側装置、受信側装置のそれぞれにおいて、PXIe-6674Tタイミング/ 同期モジュールとOctoClock タイミング信号分配器を導入し、8台のUSRP RIOの間で同期を図れるようにした。

 

図3はこのプラットフォームのソフトウェア構成を示したものだ。各ソフトウェアは、基本的にグラフィカル開発プラットフォーム「NI LabVIEW」を使用して実装されており、上述のPXIe-8880コントローラ上で実行される。また、ソフトウェアは、図4に示すユーザインタフェースから各種制御やデータの可視化を行えるように構築されている。このような構成により、16 × 16のネットワークによる多重化(8 OAM モード× 2偏波)を実現できるようにした。

 

NIのSDR製品を選択した理由の1つは、開発のしやすさにあった。他社のSDR製品の場合、SDR製品メーカーは一貫したソフトウェア開発環境を提供できているわけでは無く、各種開発環境向けのライブラリの提供に留まっている。そのため、ハードウェアであるSDRとソフトウェア開発環境の統合性は十分に高いとは言えず、この統合性の乏しさはSDRが元来持つ開発効率という魅力を損ねてしまうものである。一方、NIの製品であれば、ハードウェアであるUSRP RIOとソフトウェア開発環境であるLabVIEWがひとつのプラットフォームとして高度に統合されている。この統合性は、差し迫った期限までに実験プラットフォームを完成させ、必要な結果を得る上で重要な要素であった。

 

開発のしやすさという意味では、もう1つ重要なポイントがあった。机上での検討の段階では、The MathWorks社の「MATLAB」を使用してシミュレーション用のコードを記述していた。それらのコードは、LabVIEWのMATLABスクリプトノードを使うことにより、LabVIEW上にインポートし、USRP RIOを用いた無線信号の生成や解析にそのまま再利用することができる。この点も大きな決め手になった。他社のSDR製品の中にもMATLABへの対応を謳うものはあったのだが、上述のようにハードウェアとソフトウェアの統合性に乏しい問題があった。今回、MATLABで記述していたのは図3のビームフォーマの部分である。それらのコードのうち中核となる部分はそのまま再利用できた。

 

NIの製品を選択したもう1つの理由に、スペックの高さがある。今回、RF信号帯域幅としては100 MHzが必要であった。USRP RIOはこのスペックを満たしていた。一方、他社の製品はその半分くらいまでしか対応していなかった。また、マルチチャンネルに対応できるプラットフォームであったことも重要だった。ソフトウェア無線製品を使って16 × 16のネットワーク構成を実現するのは必ずしも容易なことではない。しかし、NIの製品であれば、複数のUSRP RIOを統合し、タイミング同期を確立するためのハードウェアが用意されている。加えて、複数のUSRP RIOを統合したマルチチャンネルシステム向けのサンプル・プログラムが提供されており、マルチチャンネルシステム特有の複雑さをある程度解消できる。そのことが、開発期間の短縮につながることは間違いない。

 

現に、今回の実験に向けてSDR製品の選定を開始した時点で、NIのSDR 製品を使用して100チャンネルに及ぶ通信システムの試作事例も報告されていたため、16 × 16の構成を実現する自信を持つことができた。

 

NIの製品は、開発のしやすさと、優れた性能の両方を満たしていたということである。なお、NI製品の比較の対象としたのは、いずれも海外メーカーの製品だった。国内では、それらのメーカーの製品は代理店が取り扱っているのだが、サポート面に不安を感じた。NIも海外のメーカーには違いないのだが、日本法人がしっかりとしており、サポートも十分に得られると考えた。

 

NIの製品を選択した結果、実験用プラットフォームを3ヵ月程度で構築することができた(図5)。開発期間が3ヵ月というのは、良い意味で非常に大きなインパクトだった。自社でハードウェア/ ソフトウェアの開発を行うとなると、おそらくその4倍くらいの時間がかかると考えられる。もちろん、自社開発の場合、性能/ 精度の面で最適化したものを実現できるのだが、そのアプローチでは、時間的な面で目標を達成するのは不可能だったはずだ。

 

また、実験の過程では、受信側でのOAM多重信号の分離処理について何度か変更を加える機会があった。その際には、プラットフォーム自体はそのままで、MATLABのコードだけ修正してインポートし直すという方法で対応できた。つまり、開発チームにとって使いやすい実験用プラットフォームを構築し、当初想定していたとおりのことを実現することができた。なお、LabVIEWによるソフトウェアの実装は、NIのパートナー企業であるドルフィンシステムが担当した。工数の問題の解決に対して、NIのエコシステムが有効に働いたと言える。

 

このような実験用プラットフォームを利用することにより、2016年度の目標として設定した仕様を満たしつつ、OAMを利用した多重伝送を具現化することができた(図6)。すなわち、OAMには、16多重を実現可能なポテンシャルがあることを確認できたということである(図7)。また、OAMを利用した伝送の挙動を確認して課題を抽出することで、多くの知見が得られたと考えている。プラットフォームの開発後、残りの3ヵ月で実験を行いレポートをまとめることで、初年度のステップを完了させることができた。

 

このプロジェクトでは、すべてを自社で開発するのではなく、市販のSDR製品を活用する手法を選択した。最終的な製品の開発については別だが、いわゆる、原理検証や、何らかの方式の性能検証といった用途では、SDRを用いたアプローチが効果的なケースがあることに間違いはない。つまり、目的を明確にしたうえで適切な選択を行えば、通信分野だけでなく、車載分野や、航空宇宙分野などで無線技術に携わっている企業や研究機関もメリットを享受できる可能性がある。例えば、研究分野では、シミュレーションをベースとする机上検討までしか行われないケースが少なくない。しかし、このようなソリューションを活用すれば、実機のシステムを迅速に構築し、現実の世界で検証を行うことが可能になるということである。

 

今後展開

最初のステップとして、OAMによる伝送の課題を抽出することができた。次の段階として、現在はそれらの課題の対策を考えたり、ミリ波への移行を進めたりしている状況にある。ただ、最初からDバンドへの対応を図るのは難易度が高すぎる。そこで、まずは実績のある80 GHz帯を使用した40 mの伝送に取り組んでいる。最終的には、150 GHz帯を使用し、100 mの通信距離でOAMを利用した多重伝送を実現することがプロジェクトのゴールになる。

 

伝送容量ついては、数十Gbpsのレベルの結果を得ている例もある。ただ、その場合の伝送距離は2 m程度が最長だった。開発チームが達成した7 mという通信距離は現時点では世界初の例ではないだろうか。上述のように、今回行った5 GHz帯で7 mの伝送実験は、150 GHz帯で実用的名サイズのアンテナを用いて100 mの伝送を実現することを想定したスケーリングモデルだ。つまり、今回の実験により、最終目標を実現できる可能性を示すことができたと言える。なお、数十Gbps~ 100 Gbpsの伝送容量については、今後モデムのLSI開発が進めば達成できるはずだ。

 

当社としての目標は、5Gで要求されるバックホールの要件を満たすことだ。ただ、5Gに限らず大きな伝送容量が必要な用途があれば、OAM技術によってニーズを満たすことができる可能性もあるだろう。

 

著者情報:

平部 正司 氏
日本電気株式会社(NEC)
Japan

図1. OAMのモードの例
図2. 実験用プラットフォームのハードウェア構成
図3. LabVIEWで実装したソフトウェアの構成
図4. LabVIEW で構築したユーザインタフェース。(a) は送信側装置向け、(b) は受信側装置向け
図5. 実験用プラットフォームの外観
図6. 電波暗室で行われた実験の様子
図7. 実験結果とシミュレーション結果の比較